佐藤茂富 死去の死因は?現在までの監督逸話!PLとの対戦動画が衝撃

名将・佐藤茂富監督です。

(画像引用元:UHB 北海道文化放送)

砂川北や鵡川高校の監督を務めた、佐藤茂富監督の死去のニュースが飛び込んできました。

甲子園に春夏合わせて6回も出場した名将で、三笠市出身の監督さんでしたが、死因は腸管感染症と報道されています。

素晴らしい監督だったそうで、ご冥福をお祈りいたします・・・_(._.)_

この記事では、そんな名将・佐藤茂富さんの死去に関する話題と死因について、

さらに佐藤茂富さんの現在までの監督としての逸話や、1984年の、桑田真澄さんや清原和博さんのPL学園との対戦動画も含めて、

お伝えしていきます。

 

佐藤茂富 死去の死因は?

佐藤茂富さんの死去の死因は、

  • 腸管感染症(病原体が腸管内で増殖して下痢、その他の症状をおこす感染症)

で、亡くなったのは、

  • 今年(2019年)の8月19日に、札幌市内の病院で
  • 享年79歳

とのことでした・・・。

佐藤茂富さんは、春夏含めて甲子園に6回も出場された名将でした。本当にご冥福をお祈りいたします・・・_(._.)_

佐藤茂富さんは、もともと、三笠市にお生まれで、岩三沢東にご進学、現在の道教育大学(当時は道学芸大)から、栗山に赴任されたところから、野球の監督業を始められたそうです。

1971年に砂川北高校の野球部監督に就任されて、ここから、佐藤茂富さんの名前が徐々に知られるようになっていきます。

1984年のここが大きなターニングポイントですが、PL学園(桑田真澄さんや清原和博さんがそろっていた黄金時代!)と対戦されて、7-18と、かなり奮闘されたことが、当時は大きく話題になったそうです!

最初でかなり失点してしまいましたが、当時の砂川北高校を知っている人には、大きな語り草となっているそうですよ!

2002年の春に21世紀枠で甲子園出場を決めたのが、最初の甲子園だったそう。

そして、西島貴之(ダイエー)や池田剛基(日本ハム)ら4人のプロ選手を育てたことでも、知られている名将なんです♪

佐藤茂富さんが死去されて、死因も発表されるまえに、すでに葬儀は近親者の方々で執り行われたそうで、

佐藤茂富さんへのお別れ会は、札幌白石区で、今年(2019年)の11月2日に行われるとのことです。

 

佐藤茂富 死去への世間の反響

佐藤茂富さんの死去・死因への世間の反響は、当時の砂川北や監督時代を知っておられる方は、

佐藤茂富監督の名将ぶりを知っておられる方が多く、その死を悼みつつも、すばらしい監督でした!と感謝する声が多数見られました。

実際に、佐藤茂富監督の死去に関して、

北海道の公立高校、砂川北での選手権出場、
選抜出場、鵜川の選抜出場!
やはり北海道の広さ、混戦の中、勝率は低いながらも、名将には代わりないけど!
異動が避けられないの公立高校で砂川北を26年間指導、
かつての池田、蔦文也監督と境遇が同じ
中、北海道の高校野球へ教訓を残した
名将、ご冥福をお祈り申し上げます。

(引用:Yahoo!ニュース コメント)

と、感慨深いものがあるみたいですね・・・。

また、当時の砂川北高校で奮闘する佐藤茂富監督の現在から過去に、思いを偲ばせて、

  • 小学生の時3年ほどだけ南高の近くで道民やらせてもらいました。道内では有名なほうでもまさか甲子園に行けるとは。桑田清原のPLに潔くやられたときは、東海大山形戦がなければ伝説になってたかな。もう今は合併で北高も南高もないけれど、あのころ砂川の名をきけて嬉しかった。さらに後に鵡川に行ってからまた甲子園に出たのがこれまたすごい。名将にただただ感謝です。
  • 一般入学生は入れないスカウト部員だけの野球部を率いての全国制覇。エリートを束ねる難しさもあるだろうが、頭数をそろえるところから初めて甲子園へ。その道のりの難しさは、エリート校をしのぐものがあると思います。
    佐藤先生お疲れさまでした。ありがとうございました。
  • 北海道ではこの人も名監督だったな。田舎のただの高校だった鵡川を甲子園レベルにまで作り上げた手腕はホンモノ。道内の高校球界史には香田監督、佐藤監督は歴史に残る。

(引用:Yahoo!ニュース コメント)

と、佐藤茂富監督の名将ぶりに大きく感動を与えられた方が、本当にたくさんいらっしゃいました!

 

佐藤茂富 死去で現在までの監督逸話!

佐藤茂富監督の死去・死因がわかりましたが、佐藤茂富監督の現在までの監督としての逸話がすごくて、当ブログ管理人はかなりびっくりしてしまいました!

1984年春には、函館有斗(現函館大有斗)の辞退で出場されて、PL学園(当時の桑田真澄さんや、清原和博さんを擁する黄金時代)にガチでやりあって、奮闘したことや、

1994年の夏の甲子園大会では、2回戦で、北海との、歴史上たった一度の北海道同士の試合になり、

「2時間の兄弟ゲンカをしようじゃないか!」

と、高らかに宣言されたのが、当時話題になったそうです♪

砂川北高校は負けてしまったそうですが、お互いの高校の選手たちが、泊まっていた宿舎で、互いの健闘を称えあいながら風呂に入ったというエピソードが残っているほど!

佐藤茂富監督は現在に至るまで、体罰で1年間の指導禁止処分を受けていた過去があったそうですが、それもなんのその、

1997年に鵡川に異動になっても、自腹を切って野球部のために室内練習場を作ったり、人数が少ない弱小高だったチームを、2002年ではセンバツ大会に出場させるなど、本当に情熱のある監督さんでした!

これは、北海道から、初の21世枠の出場で、さらに、2004年と、2009年の春の大会にも、佐藤茂富監督は出場されています。

佐藤茂富監督は、「元気、本気、一気」を野球部の信念として、全力疾走とフェアプレー精神をどこまでも探求された姿勢に感銘を受けた他の高校の監督さんもいらっしゃいました。

教え子でお別れの会の代表を務める石狩南・高草木穣監督さんは、

「佐藤茂富監督の、相手をいつも尊敬して、戦う姿勢は、高校野球の原点そのもので、これからどんな時代になっても変わらない、変えてはいけないものです」

と語っておられました。

 

佐藤茂富 死去でPLとの対戦動画が衝撃

佐藤茂富監督の砂川北高校が、PL学園と1984年に戦って、1試合で6ホームランを浴びてしまった動画がありました。

よくここから、佐藤茂富監督の砂川北高校は奮闘したと、感心してしまいました。

 

まとめ:佐藤茂富 死去の死因は?現在までの監督逸話!PLとの対戦動画が衝撃

佐藤茂富監督の死去・死因の件、現在まで名監督としての逸話や、PL学園との対戦動画が衝撃的なことについて、まとめてみました。

もう一度、名将・佐藤茂富監督に、ご冥福をお祈りいたします_(._.)_



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